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東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)182号 判決

一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1 成立に争いのない甲第二号証によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果は次のとおりであることが認められる。

(1) 本願発明はスプール弁の不動作を防止するために改良された潤滑油組成物に関する(昭和六一年八月一日付手続補正書第二頁第一二行、第一三行。)

従来、一般油圧装置や水車発電機の運転を制御するに当たつては電礎スプール弁により油圧機や水車発電機を自動的に制御することが行われている。この電礎スプール弁に使用されるR&Oタイプと称する潤滑油には、防錆剤としてアルケニルコハク酸やアルケニルコハク酸エステル型のもの、酸化防止剤としてヒンダードフエノール型のものが添加されているが、スプール弁のスプール表面に早いときには一年以内に粘着物の付着及びスプール表面の腐食が生じ、弁のケーシングとスプールとの間の約一〇μ程度の極めて微少なクリアランスを閉塞して水力発電の操業に支障を来たすことが多かつた。このような粘着物の組成は潤滑油の劣化生成物であり、スプール表面の腐食は潤滑油中のイオウによる腐食及び錆である(同第二頁第一四行ないし第四頁第六行)。

本願発明は、このような粘着物の発生及びスプール表面の腐食を防止することにより、スプール弁等の不動作を防止し、かつ優れた防錆効果を有する潤滑油組成物を提供することを目的とするものである(同第五頁第五行ないし第一〇行)。

(二) 本願発明は右目的を達成するためにその要旨とする構成、特に所定の潤滑油基油に、アルケニルコハク酸イミド、酸アミド又は両者の混合物から成る群から選んだ成分〇・〇一~一〇重量%、一般式(Ⅰ)又は(Ⅱ)で表される1,2,3―トリアゾール化合物〇・〇〇〇五~〇・五重量%を併用添加する構成を採用したものである(同第五頁第一〇行ないし第六頁第二一行)。

(三) 本願発明のスプール弁用潤滑油組成物と右組成に含まれないものとを対比した実験結果は表―1(別表(一)参照)記載のとおりであつて、本願発明によるスプール弁用潤滑油組成物は、スプール弁の不動作の原因となるスプール表面の腐食、粘着物の付着、サビを充分に防止する能力を有し、従来品にはみられない優れたスプール表面の腐食防止作用、粘着物発生防止作用、防錆作用を奏するものである(同第一七頁第五行ないし末行)。

2 原告は、本願発明の骨子(2)「1.2.3―トリアゾール化合物とアルケニルコハク酸イミド、酸アミド又は両者の混合物から選んだ成分とを潤滑油基油(審決は、単に「潤滑油」と表現しているが、前記認定の本願発明の要旨に基づき「潤滑油基油」と表現するのが正確である。)に併用する点」についての審決の認定、判断は誤りである旨主張するので、この点について判断する。

成立に争いのない甲第七号証によれば、引用例5は、名称を「潤滑油組成物」とする発明に関する公開特許公報であつて、その特許請求の範囲には、「次式で示される化合物〇・〇〇五部以上を鉱油中に含有することを特徴とする潤滑油組成物

<省略>

(式中のRは炭素数七以上のアルキル基またはアルケニル基である)」(第一頁左下欄第五行ないし第八行)と記載され、発明の詳細な説明には、N―アルカノイルベンゾトリアゾールの潤滑油組成物に対する利点(機能・作用)について、「本発明の改善された油溶性を有するN―アルカノイルベンゾトリアゾール(中略)は金属表面と接触する潤滑油に添加することにより、金属不活性剤、酸化防止剤、腐食防止剤および摩耗防止剤として働き優れた機能を持つ潤滑油組成物を得ることができる。」(第三頁右上欄第八行ないし第一二行)、「本発明のN―アルカノイルベンゾトリアゾール(中略)は優れた多元機能添加剤であるので種々の潤滑油に応用できる。代表的な油種としてはガソリンエンジン油、ディーゼルエンジン油、船用エンジン油、自動車ギヤー油、工業用ギヤー油、作動油、油膜軸受油、金属加工油、タービン油、冷凍機油および汎用工業用潤滑油等があげられる。」(第三頁左下欄第二行ないし第九行)と記載されていることが認められる。

右認定事実によれば、引用例5記載の発明は、「N―アルカノイルベンゾトリアゾールを含有する潤滑油組成物」に関するものであり、このN―アルカノイルベンゾトリアゾール自体、油溶性で金属表面と接触する潤滑油において、金属不活性剤、酸化防止剤、腐食防止剤及び摩耗防止剤として働く優れた機能を持ち、また、このN―アルカノイルベンゾトリアゾールが添加される油種に作動油とタ―ビン油とが含まれていることが明らかである。

そして、前掲甲第七号証によれば、引用例5の発明の詳細な説明には、「本発明のN―アルカノイルベンゾトリアゾール(中略)は潤滑油に一般に使用されている添加剤と併用して使用することができる。併用して使用される添加剤について例示すると、清浄分散剤としてはスルフオネート、フエネート、ホスホネート、サリシネート、こはく酸イミドおよびベンジルアミンがあり、(中略)さび止め剤としては金属せつけん、スルフオネート、アルケニルこはく酸誘導体、脂肪酸、アミン化合物、酸化パラフイン、エステル化合物があり、(中略)これらの添加剤は一般的に使用することのできる添加剤の一例である。」(第二頁右下欄第五行ないし第三頁左上欄第一二行)と記載されていることが認められるから、引用例5記載の発明において潤滑油に添加使用するN―アルカノイルベンゾトリアゾールは、潤滑油に一般に使用されている添加剤と併用して使用することができる添加剤であり、引用例5には、N―アルカノイルベンゾトリアゾールと併用して使用される清浄分散剤の例としてコハク酸イミドがあり、また、錆止め剤の例としてアルケニルコハク酸誘導体があることが開示されているというべきである。

したがつて、審決が「引用例5に、N―アルカノイルベンゾトリアゾールが、清浄分散剤としてのコハク酸イミド又は錆止め剤としてのアルケニルコハク酸誘導体と併用して、作動油又はタービン油として使用されることが記載されている」と認定したことに誤りはない。

そして、引用例3には、清浄分散剤としてのN―置換長鎖アルケニルサクシンイミド、例えばN―置換ポリイソブテニルサクシンイミドが記載されていることは、当事者間に争いがない。

しかしながら、成立に争いのない甲第五号証によれば、引用例3は「石油と石油化学」第一二巻第一〇号所収の藤田稔「潤滑油の添加剤」と題する技術論文であつて、その「5―4清浄分散剤」に、「清浄分散剤は、主として内燃機関用潤滑油に使用される。」(第六五頁左欄第二七行、第二八行)、「ふつうエンジン内部で生成する析出物はデイーゼルエンジンや高温運転におけるガソリンエンジン析出物と低温運転におけるガソリンエンジン析出物とにわけられる。前者は燃料燃焼生成物と潤滑油の酸化生成物が主成分であり、後者は燃料の酸化生成物が主成分であると考えられ、高温スラツジと低温スラツジといわれる。(中略)高温スラツジを減少あるいは防止するものを清浄剤、低温スラツジを分散するものを分散剤という。」(第六五頁左欄第三七行ないし右欄本文第一行)と記載され、さらに、「清浄剤としてはつぎのようなものがある。」(第六五頁右欄本文第二行)とし、その例を列挙した上、「つぎに、分散剤としてはつぎのようなものが代表的であり、無灰である。(1)(中略)(2)N―置換長鎖アルケニルサクシンイミド…たとえば、N―置換ポリイソブテニルサクシンイミド。」(第六五頁左欄本文第二六行ないし第六六頁左欄第三行)と記載されていることが認められる。

右認定事実によれば、引用例3には、清浄分散剤は主として内燃機関の潤滑油用に添加使用されるもので、N―置換長鎖アルケニルサクシンイミド、例えばN―置換ポリイソブテニルサクシンイミドは清浄分散剤のうちでも低温運転時におけるガソリンエンジン析出物すなわち低温スラツジを分散する分散剤として添加使用されることが開示されているというべきである。

また、前掲甲第五号証によれば、引用例3には、「4添加剤の使用例」として、「二、三の代表的な潤滑剤を例にとり、各油にはどのような添加剤が添加されるかを第2表に示した。」(第六三頁左欄第八行、第九行)と記載され、この第2表(別紙(二)参照)によると、清浄分散剤はタービン油及び油圧作動油に対しては「×…必要ない」ものと明記されていることが認められる。

したがつて、引用例3は、N―置換長鎖アルケニルサクシンイミド、例えばN―置換ポリイソブテニルサクシンイミドは、主として内燃機関用潤滑油にその低温運転時における低温スラツジを分散するための分散剤として添加使用されることを示しているにすぎないものであり、当業者は、引用例3から、N―置換長鎖アルケニルサクシンイミド、例えばN―置換ポリイソブテニルサクシンイミドを作動油又はタービン油用として用いる必要はなく、ましてスプール弁用潤滑油の添加剤として用いられるものではないと理解することが明らかである。

被告は、引用例3には、N―置換長鎖アルケニルサクシンイミドは清浄分散剤のうちの分散剤として記載されていること及び甲第八号証に、作動油には石油系作動油と水溶性作動油とがあり、水溶性作動油の主成分は鉱油、乳化剤、水であると記載されていることを理由に、N―置換長鎖アルケニルサクシンイミドは乳化剤の一種として作動油に併用されると考えるのが通常である旨主張する。

しかしながら、引用例3には、清浄分散剤はタービン油及び作動油に対して使用する必要がないと明記されている以上、甲第八号証に被告主張のような記載があるからといつて、引用例5に記載された清浄分散剤としてのコハク酸イミド又はアルケニルコハク酸誘導体の代替物として引用例3に記載されたN―置換長鎖アルケニルサクシンイミドをスプール弁用潤滑油組成物に用いることが当業者に容易に想到し得るとは到底認めることができない。

これに対し、本願発明のスプール弁用潤滑油組成物では、前記1認定のとおり、スプール表面の腐食及び粘着物の発生を防止することにより、スプール弁の不動作を防止し、かつ優れた防錆効果を有する潤滑油組成物を提供することを目的とし、その要旨とする構成、特に所定の潤滑油基油に所定の1,2,3―トリアゾールとアルケニルコハク酸イミド、酸アミド又は両者の混合物とを併用添加することにより、優れたスプール表面の腐食防止作用、粘着物発生防止作用、防錆作用を有し、対応する効果を奏するものである。

そうであれば、引用例5に、N―アルカノイルベンゾトリアゾールが、清浄分散剤としてのコハク酸イミド又は錆止め剤としてのアルケニルコハク酸誘導体と併用されることが記載されていても、これをスプール弁用潤滑油組成物として用いる場合において、「その清浄分散剤としてのコハク酸イミド又はアルケニルコハク酸誘導体の代替物として引用例3に記載されたN―置換長鎖アルケニルサクシンイミド、例えばN―置換ポリイソブテニルサクシンイミドを用いることは当業者なら容易になし得ることと認められる。」とした審決の認定、判断は誤りというべきである。

3 したがつて、審決は、本願発明の前記骨子(2)について、引用例3及び引用例5の記載から当業者において容易に想到し得たものと誤つて認定、判断したものであり、その結果、本願発明は引用例1ないし引用例5の記載から当業者が容易になし得たとしたものであるから、その誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであつて、その余の審決の取消事由について判断するまでもなく、違法として、取消しを免れない。

三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。

〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。

粘度が温度三七・八度Cで八・〇~三〇〇cstの潤滑油基油に、基油の重量に対して

a) アルケニルコハク酸イミド、酸アミド又は両者の混合物から成る群から選んだ成分〇・〇一~一〇重量%、及び

b) 一般式(Ⅰ)

<省略>

又は一般式(Ⅱ)

<省略>

(右の二式においてAはシクロヘキセン環、ベンゼン環、ナフタレン環及びこれらのC4~C8アルキル置換された環であり、Xは水素原子又はC12~C18アシル基であり、YはXと同じ意味を持ち、XとYは互いに同一か又は異なつていてもよく、mは〇から六の整数である。)

で表される1,2,3―トリアゾール化合物〇・〇〇〇五~〇・五重量%を添加して成るスプール弁用潤滑油組成物。

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